「肝胆膵消化器病学」は横浜市立大学附属病院の消化器内科部門です

この10年を振り返って

千葉 秀幸 (平成16年卒)

1 はじめに

 私は大学で勤務していたのは初期研修医2年目での1年間で、その後はすべて一般病院での勤務です。一般病院の勤務でどこまでできるのか、1人の臨床家として、これまでのキャリアを振り返る機会をいただきました。

2 卒後3年目から4年目

平塚市民病院はその当時、消化器内科の実働スタッフが私を含めて3人と極めて少ない状況でのスタートでした。受け持ち患者は常時20人程度、30人近いこと も少なくありませんでした。私自身も消化器内科1年目で病棟業務もままならぬ中、日々のルーチンとしての外来、時間外の救急当番、内視鏡検査、透視検査・ 処置を何とかこなしていきました。ある程度慣れてきた頃から空いている時間を利用し週1回超音波検査、週1-2回血管カテーテル検査・治療について各々の 専門の医師に教えていただくようになりました。そんな過密スケジュールの中、紙カルテを日中業務が終わった夕方・夜以降にナースステーションで一心不乱に 書いていたことを今でも懐かしく覚えています。毎日が本当にサバイバルでした。この期間大きな問題なくやってこられたのも、指導医の先生の的確なアドバイス、また研修医の先生のサポートのお蔭でした。研修医の先生方は多忙で大変だったと思いますが夜遅くまで仕事を一緒にしてその後皆で食事に行ったりお酒を のんだりと、忙しい中でも息抜きを忘れず楽しみながら仕事をしていました。その苦楽を共にしたその研修医の先生達は今では他の場所で活躍をされており頼も しく成長された姿を見ると本当にうれしく思います。この2年間、特に初めの1年間については厚川和裕医師、斯波忠彦医師という、2人の指導医の先生に公私 共多くのアドバイスをいただき、それが今の私の医者としてのベースを作っています。本当に周囲のスタッフに恵まれた2年間でした。今では、月に1度程度 ESDのお手伝いをさせていただきつつ懐かしいスタッフとの再会を楽しみにしています。

3 卒後5年目から8年目

より専門性の高い研修をしたいとの思いでNTT東日本関東病院を志望しました。ここは松橋信行医師を部長とし消化管、肝臓、胆膵と各専門のグループに分か れ、その指導医が各々の領域において第一線で活躍されている先生でした。はじめの一年は各グループをローテートしましたが、消化管グループの指導医で、 ESDのエキスパートの大圃研医師に内視鏡の面白さ、奥深さを教わり自分の専門領域を決定しました。大圃医師は、今では世界を股にかける内視鏡のスペシャ リストですが、そのワイルドな風貌からは想像もできないような、非常に繊細なタッチ、内視鏡への熱い思い、治療中の華麗なテクニックを目の当たりにして、 そこへとにかく少しでも近づきたいと思うようになりました。厳しい指導ではありましたが、それまでマンネリ化していた内視鏡検査・処置が気づいたら全く別 のものになっていきました。その後は、優秀な同僚と共に毎日深夜まで内視鏡診断や治療の勉強、学会準備等に毎日追われていました。当初は2年間の予定でし たが、もう少し研修させてほしいと懇願し最終的には4年間研修させていただきました。この間に、全身麻酔下の咽頭ESDから食道・胃・大腸まで本当に数多 くの症例を経験することができました。特に、その技術の高さから国内外から多くの医師がESDの見学・研修に来ており現在でも交流が続いています。そのよ うな先生方と触れ合えたことは大変貴重なものと考えています。それと並行するように国内のみならず海外での学会発表も増え、大圃医師に同行し日本全国への 出張ESD、日本を代表するような内視鏡のトップランナーの先生方との交流の機会も増えていきました。その傍ら、大学院生としてOriginalの論文を 2本、Case reportを2本通し、科スタッフの協力のもと定期的な授業出席、中島淳教授に論文指導を頂き博士号も取得することができました。内視鏡の世界の奥深 さ、面白さを知り、また医師としての目標ができた4年間でした。

4 卒後9年目から現在まで 

次のステップとして、これまで私が教わったことを若手の医師へ還元したいという思いから大森赤十字病院を選択しました。大森赤十字病院はやる気のある若手に 満ち溢れていましたが、内視鏡に関して言えばNTT関東病院へ行ったばかりの私の状況と似た内視鏡に対する飽和感、上達の仕方がわからないという状況でし た。導入当初は思うような内視鏡も処置具も揃っておらず、立ち上げが大変でしたが、ただ内視鏡室を盛り上げたいという気持ちで地道に仕事をし、最近では 徐々に最新の内視鏡が揃いつつあります。ESDに関してはまだ十分な症例数ではありませんが、逆に1例1例を大事に施行しています。内視鏡処置は当然患者 さんありきで適応・安全面が一番担保されるべきですが、その一方で、最近では“内視鏡はアート”、内視鏡で写真をとるときは“写真家のように”と、内視鏡 への思いそのものが変わってきました。このような心構えを若手の医師へ教えつつ症例を増やし、これまで年間10件程度のESDが、赴任後1年で120件ま で増えました。このような業績を評価していただき、赴任して翌年の9月に若輩ながら消化器内科副部長へ昇格と共に内視鏡室室長に任命いただきました。その 後は若手の医師への教育の他、国内外の学会、研究会、講演の他、大圃医師に推薦いただき内視鏡学会や2013年のUEGW inドイツでのESDハンズオンセミナーのインストラクターを務めさせていただき、また中国各地域でのESDライブに参加、この他内視鏡、ESD関連の研 究会世話人など貴重な経験を数多く積ませていただいています。 “1つ山を登ると風景が変わる、そしてまた次の山を登ればまた新しい風景が見える、 その山に登らないと見えない世界がある“、と大圃医師が口癖のように言っていた言葉が最近になり少し理解できるようになりました。まだ見えていない世界が たくさんあるほど面白い、自分が見た風景を若手の医師へ伝え、少しでも夢のある将来設計の一助になればと思っています。

5 最後に

医者になりたての頃、“まず医者は10年。この間どのくらい頑張るかが医者として大成できるかどうかが決まる”、と言われました。私は、走り続けた結果 あっという間にこの10年を超え、今年で11年目になりました。この10年、私が何か特別な偉業を成し遂げたわけではありませんが、この間にはいつも素晴 らしい指導医と互いに切磋琢磨できる同僚、後輩がいました。このような素晴らしい環境を与えていただいたこと、また大学院での論文指導も含め、中島淳教授 をはじめとする横浜市大肝胆膵消化器病学の多くの先生方のサポートいただいたことにこの場を借りまして感謝申し上げます。“どこで学ぶかではなく、どう学 ぶか“、今後も1つ1つの出会いを大事にし、次の10年に向かって目の前の山をまた1つ登りたいと思います。

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